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Historia 鶴ヶ丘

創設70周年を超える鶴ヶ丘の歴史を、当時の写真や記述に基づきお伝えしていきます

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鶴ヶ丘高校 「音楽科・美術科」の誕生

同窓会にはよく芸術課程の卒業生からのお問い合わせがあります。
強い絆を持ち続けている音楽科、美術科の皆様です。かつて鶴ヶ丘高校には芸術課程(音楽科・美術科)がありました。

なぜ、母校に芸術課程ができたのか、どのような授業をしていたのか、なぜ芸術課程がなくなってしまったのか、これらを中心にお届けします。母校が今の地(杉並区和泉)にあるのも、実は芸術課程とつながっていたのではないかという(未確認ですが)新情報も掲載します。芸術課程を卒業された同窓生の皆様から、当時の様子や写真などのご連絡をお待ちしています。

芸術課程の胎動

左の写真は今でも残る「絵の具」の跡です。現在の「六号館進学」棟のドライエリアに残っています。ここは美術科があった「美術棟」でした。今でもここに芸術課程があったことを母校の校舎自身が語り継いでいます。

芸術課程は1968年に設置され、1985年の募集停止までの19年間にわたり、日本大学芸術学部への進学課程という面も持ちながら、多くの卒業生を輩出してきました。

芸術課程の誕生に直接携われた出口忠元校長(母校 第5代校長)の私製本「私のこころのふるさと」から引用して掲載します。

出口元校長著「私のこころのふるさと」から

『 昭和四十二年七月(*鶴ヶ丘高校の)新旧校長事務引き継ぎが終わるや否や、大学の教育会議である九段会館にはせつけた。各部科校が会頭・総長に意見具申する機関である。
たまたま芸術学部長(渡辺俊平先生)より、芸術高等学校の設置希望の問題が提案された、これに対する会議の回答は - 主旨としてはまことに望ましいことであるが、設置基準等から考えて、スケールの面からも財政的にも不経済な点はありはしないか、適当な付属校に委託したらどうかとの回答があった。
その日出席者の昼食会が催され、私はたまたま芸術学部の三浦仙三学監の隣りに座して芸術高等学校の問題に対して話し合うチャンスを得たのである。学監の考えと、私の考えが一致するところになり、渡辺学部長(故人)に鶴ヶ丘高等学校長の意図するところを早速お伝えしようということになり、後日をまって学部長に私の希望を述べた。
一言にしていえば芸術教育には早期教育が必要であるということが両者の意見で、前期教育を鶴ヶ丘で責任をもつ、美術科・音楽科の設置が決まったのである。』

その後、日本大学芸術学部と日本大学鶴ヶ丘高等学校の話し合いにより、1967年11月15日付で両者の申し合わせが成立して、翌年度から生徒の募集が始まりました。

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芸術課程が日本大学芸術学部の付属高校という側面を持っていたことがわかります。日本大学農獣医学部(現・生物資源科学部)の直属校という側面と芸術学部の付属校という二つの側面を持つ学校だったのです。

旧 美術棟、現在は特進コースの進学棟です。(2023年1月撮影)

文中の「*」は筆者注釈です。引用文は原文のまま掲載しています。

( 続く )