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Historia 鶴ヶ丘

創設70周年を超える鶴ヶ丘の歴史を、当時の写真や記述に基づきお伝えしていきます

Historia 鶴ヶ丘

鶴ヶ丘高校 「音楽科・美術科」の誕生2

日本大学芸術学部と日本大学鶴ヶ丘高等学校の話し合いにより決まった鶴ヶ丘への芸術課程の設置。
芸術学部には直属付属校がなかったのでしょうか。今回は芸術学部の付属校に関することから母校での美術科・音楽科のスタートまでお伝えします。

芸術学部の付属校

母校、鶴ヶ丘高校は日本大学生物資源科学部(旧・農獣医学部)の直属校(*1)です。同学部の直属校は母校と日本大学藤沢高等学校です。どちらも生物資源科学部とのつながりが深い付属校です。同じように日本大学櫻丘高等学校は日本大学文理学部の直属校です。それでは日本大学芸術学部の付属校は・・・、というと過去に芸術学部校舎内に芸術学部所管の定日本大学江古田高等学校が設置されていました。(*2)

日本大学江古田高等学校は現在はありません。
同校は1950年(昭和25年)2月に創設、4月から生徒募集を開始しました。定時制(夜間)で所在地は東京都練馬区旭丘2丁目、芸術学部校舎内にあったそうです。その後、1970年(昭和45年)4月に休校、1976年2月に廃止になりました。鶴ヶ丘高校に芸術課程が設置されたのが1968年です。時間軸でオーバーラップしているところがあります。

母校五十周年史稿「飛翔」に寄稿された元音楽科教諭 村田英夫先生(母校の校歌を作詞された先生です)の文章から引用して掲載します。

村田英夫先生「芸術課程設置とその後の思いで」から

『 昭和四十一(一九六六)年頃より芸術学部では、併設されていた江古田高校(夜間・募集停止中)を基盤とし、付属芸術高校の開設を考慮していました。四十二(一九六七)年七月本部にて日本大学教育会議が開催されたそうで、その席上鶴ヶ丘高校の出口校長より美術・音楽の課程を併設したい旨提案がありました。この件は芸術学部と相談することとなり、両者で協議の結果、学部から渡辺俊平学部長、三浦千三教授、鶴ヶ丘高校から出口忠校長、山内二夫事務課長が出席し、経営は鶴ヶ丘高校、教育は芸術学部それぞれの責任の下で行うとの覚え書きが交わされました。

私は渡辺学部長より「三ヶ年、出向してください」との話があり、十月より鶴ヶ丘高校に出向し、開設の準備にあたりました。備品の調達、生徒募集のための中学校巡りなどでした。昭和四十三(一九六八)年四月いよいよ新一年生入学となりますが、都より通達があり、責任者は出向ではだめ、とのことで身分を鶴ヶ丘高校に移動しました。学部からみえた講師の先生の多くは高校の免許状がないままの状態でした。(二・三年間の余裕はゆるされていた)ともあれ七年間の一貫教育を目指して美術科五十四名・音楽科二十四名でスタートしたのです。

この夏、日大も大学紛争に突入したのでした。紛争が一年早かったらならばどうなっていたのやらと思わざる得ません。授業が始まりますといろいろと問題がありました。井上教頭とはよくぶつかりました。授業形態の違いからくる問題でした。火曜と金曜日は実習とレッスンにあたり五時間通しの時間割のため生徒は教室を出たり入ったり自由のため、普通科の形態とかけ離れていることへの解決と理解の必要がありました。話をすればよく理解して下さった教頭でした。開設から四・五年間は、ないものづくしの連続でした。私財で楽器の購入やら、先送りでの購入やらで過ごし、三年目にはプレハブ教室での授業となりました。でも先輩の他高校に追いつけ、追い越せと特色ある学校を目指し、希望を持った生徒を育てようとしたことは、私の高校生へ関心が強くなっていった証なのでしょう。』

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日本大学芸術学部にも江古田高校という付属校があったのですね。母校と芸術学部は美術科・音楽科の設置でつながっていただけなのでしょうか。最近になってわかったのですが、初代芸術科長(現・芸術学部) 松原 寛を通じて、母校創設より前から芸術学部と鶴ヶ丘はつながりがあることがわかりました。このことは、このシリーズの最後にお伝えします。

現在の図書館棟、ここに音楽棟がありました。美術棟と異なり全面的に建て直されました。

文中の「*」は筆者注釈です。引用文は原文のまま掲載しています。

( *1 )Tips 日本大学の付属校

日本大学の付属校は27校あります。「付属」「準付属」「特別付属」に分かれています。付属は日本大学が直接運営している高等学校です。準付属は日本大学と契約を締結した法人により設置された高等学校です。(運営母体が日本大学ではありません。)特別付属は元々は付属でしたが、戦後にGHQによる財閥解体の影響により1946年に日本大学から分離独立して別の法人になった高等学校です。付属はさらに「併設校」と「単独校」に分かれてます。併設校は学部に併設された付属です。母校は、日本大学生物資源科学部の併設校(直属校)になります。

( *2 ) 日本大学江古田高等学校が設置
引用: 日藝の沿革 https://www.art.nihon-u.ac.jp/about/history/

( 続く )