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活躍する同窓生や生徒達を紹介します

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活躍する同窓生「豊田チカさん」3

豊田チカさんの鶴高時代

どんな鶴高生でした?

麻雀だけで基本もうアウトでしょうけど(笑)優等生ではなかったです。中学までは国語、数学などの勉強もある程度楽しかったし成績も悪くなかったのですが、高校に入ってから(特に二年生以降)は、自分の中で「やりたい事」が更に明確になって来てしまったので、興味のない授業中は作曲したりイラストを描いたりしていました。(ごめんなさい!その時のまんま、音楽家&イラストレーターになりました。)でも、成績が悪ければ大学に行けないのは自分だし、他の生徒の邪魔さえしなければ自由にやらせてくれました。「大橋は作曲してるからその後ろの岡島!」なんて言って飛ばしてくれたり。大学に行くつもりは最初からなかったので例えば英語でも歌詞を訳すために必要な事や会話はよく勉強しましたが、いわゆる生活にあまり関係ない「文法」などは全くやる気がなかったんです。理系科目も生活に関係ありそうな事はちゃんと聞くんですが、ルートだとかサインコサインとかそういうのは最初から頭に入って来ませんでした。社会でも歴史の話は面白くて聞くんですが年号を覚えるとかは完全にアウトでしたし、小さい時から白地図塗るのとかも全然やってこなかったので、ハタチ過ぎるまで日本は北海道と沖縄以外全部くっついていると思っていました。四国や九州って地続きじゃないと知った時は驚きましたよー!ははは…もしかしたら、関心のある事以外は脳の入り口でシャットアウトして入ってこないようにする性格だったのかも知れません。

部活は?

最初、中学からやっていた部活(バレーボール部とギター部)の両立がしたくて、バレー部と軽音楽同好会に入部したのですが、当時の体育会系のいわゆる全体主義的な空気が嫌でバレー部は半年で辞めました。先輩が修学旅行でタバコ吸って停学になったから部員全員毎朝6時に来て校門の掃除しろってなんやねんて感じです。父譲りでそういうの一番苦手。バレーボールは続けたかったんですけどね。(余談ですが、そんな理由でバレーボールをやめたので、ずっと心の中にバレーボールへの思慕が残っていて、30代前半の頃カリブ海のジャズクルーズ「世界最大の客船ノルウェー」で歌っていた時、甲板のコートでバレーやっていた若い人たちを見てもう居ても立っても居られなくなり、「Let me join please!」て飛び込んでいって一緒にやっちゃったんです。もう両腕レシーブで紫色になっちゃって大変でした。)