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活躍する同窓生や生徒達を紹介します

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活躍する同窓生「豊田チカさん」5

Jazzを始めたきっかけは?

私は物心ついた時から両親が音楽や芸能の世界にいたので、自然とそういう環境で育ちました。ジャズに関しても子供の玩具と一緒です。小さい頃から家で流れていたジャズを聴き、ピアノを弾いて歌っていたのですから、仕事として研究するようになったのはむしろ遅いかも知れません。小学生の頃は皆さんと同じく歌謡曲も聴き、中学時代はギター弾いてフォークソングやオリジナル曲を作って歌い、高校からは当時流行っていたハードロック(Deep purpleなど)のキーボードをやったりしていました。18歳の時に知り合いのギタリストが里帰りする間、代わりに一週間くらいやってくれないかと頼まれて大学生が集まるパブのような店で歌うようになったんです。今にして思えば怖いもの知らずもいいところですよね(笑)お客さんも歌えるような歌声喫茶に毛が生えたような店で、よくお客さんの伴奏もしました。楽しかったですね。私は子供の頃立派な音痴だったのですが、とにかく歌ってさえいれば幸せ。ジャンルは何でも良いんです。だからジャズから演歌、シャンソン、フォーク、ロック、なんでも歌いました。音痴なのに弾き語りの仕事で時給800円もらえたって、良い時代でした。カラオケなんて無かったからお客さんの伴奏出来るのが重宝がられ、あちこちに引き抜かれてどんどん仕事が増えていったんです。音痴だったというと信じてもらえないんですが、本当なんです。小さい頃私が歌っていると家族がみんな部屋から出て行くのでなんでだろうなぁと思って、当時売り出していたカセットテープレコーダーを誕生日に買ってもらって自分の歌声を録音してみたら、その理由がわかったんです。これはひどいなぁって。でも、そんな事くらいで歌うのをやめたくなかったんです。でも音痴だから迷惑でしょ?声大きかったし。だから、音痴を直そうと必死にがんばりました!

で、音痴が直って歌の仕事を始めるようになったら、目の前にまたもうひとつ越えなければならない山があったんですね。マーサ三宅という日本ジャズヴォーカル界の草分けであり絶対不動の歌手を母親に持ち、同じことをやるというのはリスキーでした。私は前述の通り歌ってさえいれば幸せなのですが、仕事となると周りの声を無視する事は出来ません。顔も声も体型もそっくりなのですから、「マーサさんにそっくりね」「真似しても勝てるわけないわよ」などなど、何をやってもそのように言われる始末。たとえ相手が歌手として尊敬する母親であったとしても、表現者として誰かに似ている(まして真似している)などと言われるのは心外でしたから、30代から40代前半くらいまでは、どうしたら似てると言われないか!がテーマでしたね(笑)。マーサさんがやっていない事をやれば似ていると言われないかと思い探してみましたが、私のような音痴の叩き上げと違い、幼い頃から天才の名を欲しいままにし音楽学校でクラシックの教育も受けて、プロとしてのキャリアも長いマーサさんが歌の中でやっていない事なんてないんですね。でもある時、やっと見つけたんです。彼女はあらかじめ作ってやるスキャットはしていましたが、器楽的な唱法「アドリブスキャット」はやっていなかったんです。そこで私はビーバップ、モダンジャズなどのレコードを聴きまくってフレーズをコピーして練習したり、コード進行の勉強をして、アドリブにのめり込んで行ったんです。きっかけは「お母さんにそっくりな歌」と言われる事への反発でしたが、ジャズは知れば知るほど奥が深く、なかなか有意義で楽しい10年あまりでした。そして50歳を過ぎた頃、「お母さんに似てますね」という言葉を微笑んで聴ける私がいたんです。